黒川麻衣が空間のために書き下ろしたという本作は瀟洒な悲喜劇である。初演を見た自分は、The 8th Galleryにいる人びとと彼らが織りなす物語に、空間にアテて書くとはこういうことかと膝を打ったのだが、ようするに面白い場所でやる面白い芝居だから観に行った方がいいというだけのことである。
高木登 / 鵺的主宰
くろかわまいの裸線形は、砂らしい、鉄らしい、花らしい、または、人らしい一面を保ちつつ、憤懣のやる方ない方角から、不気味そうな、病むに病まれぬ、やるせない第11次元方面へと、のっぽり逸れていく。
わたしは、メタマウント富士のカゲロウを、あの日確かに観た。ような気がする。かも知れない。富士山には、不気味そうが、よく似合う。かも知れない。ような気がする。
天野天街 / 少年王者館
「ホテルで演劇」ということで連想するのは、「このホテルで殺人事件が!犯人を捜しましょう!」みたいな、あの手の観客参加型のものを連想してしまいがちだが、熱帯のこの作品は、そういうものではなかった。あるいは、都会の倦怠に埋もれた男女が、ふと訪れたこの場所で紡ぐ愛のすれ違いを、観客が覗き見するようなものも連想するが、熱帯のこの作品は、そういうものでもなかった。
ではどういうものかというと、つまりは新しい「ホテルで演劇」の形を提示した作品なので、観客は改めてそれを目撃するといいと思う。
余談であるが、初演では旧知のイラストレーターあきやまみみこが、初舞台ながらまるで浅丘ルリ子のような演技を見せてくれていたが、今回の再演にも出演するそうなので、またそういう感じでやると思う。
河井克夫 / 漫画家
運動しかしていなかった僕は芸術にはとても疎かった。
中でも演劇、ミュージカルなどの類は全く触れて来なかった。
時は流れ、アートギャラリーの販売担当になり、熱帯様が来た。
僕は芸術アレルギー。未知の案件は恐怖だった。the8thgalleryで演劇なんて出来ようがない。
なんて思ってた僕の接客はきっと最低の初対面だったはずだ。
それでも黒川主宰はthe8thgalleryを会場として即決してくださった。
実際に全日程が終わるまでは気の抜けない闘いが続くと思ってた。
稽古を監視し、粗探しをしてやろうなんて意地悪を企てていた。
するとどうだ。
普段は頼りないくらい優しい俳優さんが、僕のようなチンピラめいた従業員を演じる姿、
演技はほぼ経験がないというのに見事なまでの感情描写の女優さん。
何よりいつもの自分の仕事姿を俯瞰で見ている感覚。
面白い。かも。
そして全日程が終了してしまった。
ようやく分かり始めたのに。
どうしても理解したかったあの場面、もう一度聞きたいあの台詞。
僕は再演をお願いしていた。
どこまでもただそこにあるだけの日常感を形にしただけという本当にシンプルな構成。
舞台装置も美術もないただの空間。
黒川主宰は僕のような人間のために書いてくれたのか。
おかげさまで今は早く観たい。
そう思ってます。
大槻俊平 / CLASKA 営業部門
借景演劇とでも言うんでしょうか、おしゃれなビルの、がらんとした見晴らしのいいフロアで、不動産屋さんやそこを下見に来るお客たちが登場するお芝居でした。つまり本物の場所です。
暗転など照明操作が必要なく、具体的な場所を設定する演劇ならば、その本物の場所でやるに越したことはないというか、むしろそれが理想だと思っていましたが、私は一度も出来ていません。なかなか大変なのです。それを黒川さんはやっていました。
山内ケンジ / 城山羊の会
私の数少ない親友の秋山想と数少ない登山仲間あきやまみみこ嬢が出演した前回の『Mt.Fuji 92.2Km』を観て一番ビックリしたのは、職業俳優ではないはずのお二人のあまりの演技の上手さとしっかりとしたたたずまいでした。ただ、広いギャラリーのあちらこちらでお芝居が同時進行的に繰り広げられるので、なんなら観客も自由に動きながら観劇出来たらいいのに(公演時間も短いことですし)。
そう思っていたら、朗報。今回の再演は観客も好きな場所で観劇できるそうです。
前回の公演を見逃した方にもぜひ「Wあきやま」の雄姿を観ていただきたく思います。
宮崎吐夢 / 大人計画
黒澤明の書いた脚本をもとに作られた映画「暴走機関車」は、ある特殊な構造のディーゼル機関車を登場させないと成立しない構造になっているが、この『Mt.Fuj 92.2km』も「広々とした贅沢な、空き家の、マンション」と言う舞台設定が作品をより魅力的な物にしている。さらに当日の天気も重要なファクターと来ている。
さて、今回はさらにそこに何をぶっこんでくるか!
とても楽しみであります。
木原実 / 日本テレビお天気キャスター
会場。いわゆるお芝居の公演が行われるような場所ではなく、ビル高層階「テナント募集中」風情のワンフロア。
たくさんの窓があるため、公演時の時間や天候が少しだけ「借景」のように取り込まれる。
構成。会場で使われている場所を巡ってのエピソードを同時多発的に見せていくので、全てをくまなく見ることはできないが、結果想像力を使って能動的な観劇に。
・・・まてよ、これって寄席の要素と似てるのか?
借景は芸人の時事ネタ、落語は想像力、間に挟まる漫才やマジックなどの同時多発感。
どちらもそこにあるのは「ほどの良い非日常」
立川志ら乃 / 落語家
空間内で同時多発的に芝居が始まる。視界に入るやりとり全て芝居なのか?喋っているあの清掃員はこのビルのリアルな清掃員か?隣に座るケバい女はもしや演者か?売る気あるのか不明瞭な物販コーナーはセットの一部か?こっちに真っ直ぐ歩いてくる男は誰だ?嗚呼、遅刻した連れか…。そうか、この空間に身を置く者は皆この演劇の一部として脳内でストーリーに組み込まれてゆく。演ずる者と鑑賞する者という距離を廃したパフォーマンスは、今まさにそこで起こっている事件の様であり、私という目撃者からの死角も含めて自由自在に距離を使う。あまつさえ演劇のタイトルは富士山からその空間までの距離…まさか富士山までの空間をも舞台に見立てているというのかっ!などという邪推をすることなく、気軽にお楽しみいただける素敵なお芝居です。
芳賀薫 / 演出家(主にCMときどき舞台)
終演後に振り返るとそれまで観た事の無い一面に夕焼けに溶ける目黒の景色がありました。その光景に心を奪われたぼくは富士のマグマで次はどの街を溶かすつもりなのだろうと考えています。
村井雄 / 開幕ペナントレース
劇場も好きだが劇場ではない空間で芝居をするのも観るのも好きだ。そこにたどり着くまでの距離や景色、移動そのものが好きだ。熱帯のそれは、上演場所に到着するまでの心地良い移動があった。観客は無意識のうちに“距離感”を感じて会場に足を踏み入れる。面白いと思ったのは、その内容が、手に入りそうで入らないモノ、届きそうで届かないモノ、という物心両面で“距離感”をめぐる物語であったことだ。場所と内容の親和性、その場所で上演してこそ意味が強くなる作品じゃないかと、膝を打った。
笠原健一 / 演劇プロデューサー
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しりあがり寿 / 漫画家